機体名は「ToyPlane震電」とします。
2014年9月2日早朝、石狩浜でいよいよテスト走行開始です。電気工事仲間の沢本電気さんが作製してくれました。YouTube UP用ムービーです。
YouTube
僕が、ビデオカメラに付いてきたソフトで編集をしたビデオです。
2014年9月2日早朝
石狩の砂浜でテスト走行です。
エンジン全開での推力試験、エンジンマウントの振動試験、エレベーターやエルロンの作動状況。ディレクションスタビライザーの動きとトーイン角度の確認、パイロットシート位置の確認と、重心位置の確認などです。
試験結果は、全体の強度や全ての翼の取り付け角度、エルロンとエレベーターの作動状況と効き具合はいい感じです。
テストの結果は、CG位置の調整が必要な事が解りました。そのほかにはスロットル全開で時速35Kmまで加速したので、離陸速度は十分なのですが、もう少し推力がほしい感じです。まずはプロペラダイヤを115mmから125mmに変更です。
良好な試験結果にホッとしています。
YouTube音声無し
戦争の終わりに、震電と言う高性能な戦闘機が完成するところまできていました。
震電は、時速720Km(推定)の超高速の戦闘機です。終戦の時点で震電の存在を突き止めたアメリカは、いったんは震電を完全復元させたのち、この震電の技術が、ドイツやその他の国に漏れ出てしまうことを恐れて、震電の存在は封印されたのだそうです。
真珠湾攻撃の時から、時速500Kmを超える速度のゼロ戦に驚いていたアメリカが、終戦の時点で、圧倒的な超高速で飛行する震電の存在や、ジェットエンジンの開発が進んでいた日本に対して、「日本に航空機を作らせてしまったらアメリカはかなわないかもしれない」と思ったアメリカは、その後日本に対して7年間のあいだ航空機の製作や技術開発を禁止したほど、航空機の高い技術があったのだそうです。
2006年 イメージスケッチを書いて震電の作製を開始することにしました。
2007年1月 正月休みの札幌事務所の中で震電の作製を開始です。そのほとんどをとても古いハンググライダーの廃材で作製です。
この「ToyPlane震電」を作り始めたのは60歳になってからです。製作材料の99%が廃材です。イメージスケッチをもとにして適当に作りましたから、果たしてうまく離陸するのでしょうか。たとえ離陸したとしても、飛行機は、試験飛行をして飛んでみて解る不具合が、いっぱい出るのは当たり前なのです。
いつも全く新しいことに挑戦するときは、失敗することを覚悟して始めるのです。
パイプの曲げ加工やエルロンリンケージの設計や製作は、僕の事務所の中ですべて作成しています。パイプを曲げるハンドベンダーは電気工事の道具で有るのです。エルロンリンケージのアルミ角パイプは、ガスバーナーで300度まで熱して(サーモゲージで測定して)飴のように曲げています。